読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

ホーソーン作品集「七人の風来坊」より、「デイヴィッド・スウォン」

 おそらくは今後平凡な道を歩むであろう、青年ディヴィッド・スウォンは、これから番頭としてはたらくことになった親類の職場を目指している。

 

彼は通りで乗合馬車を拾おうとするが、あまりの暑さと疲労で、湧き水がある手近な楓の木陰でぐっすり寝込んでしまう。

 

 彼が気持ちよく眠っている間、その木陰にやってきたのはとある年配の商人夫婦。

二人は馬車の修理の間、たまたまその木陰に立ち寄っただけで、たまたまディヴィッドがそこですやすや眠っていた。

余りにも柔和な表情で眠っているディヴィッドに、亡くなった息子の面影を見た夫婦の妻の方が、起こしてみてはどうかと夫に相談してみるが、そのやり取りの間に馬車の修理が終わり、夫婦はその場を後にする。

 

もちろんディヴィッド青年は、そんな出来事は露ほどもしらない。

 

 

 次に青年が寝ている木陰に踊るようにやってきたのは、うら若き美しい女性。解けた靴ひもを直そうと、たまたま女性は木陰にやってきたのである。

女性はディヴィッドを起こしてはならないと、そっと木陰を後にしようとするが、ここで青年の周りに蜂がたかっていたので、懸命に追い払う。

 

もちろんディヴィッド青年は、そんな出来事は露ほどもしらない。

 

女性はディヴィッド青年の顔を見て恋に堕ちかかったが、あえ無くその場を立ち去る。

もちろんディヴィッド青年は、そんな出来事は露ほどもしらない。

 

次には二人の悪漢があらわれ、木陰で寝ている青年の荷物を奪おうと企てている際に、湧水を飲みに来た飼い犬を警戒し、計画半ばで立ち去ってしまう。

 

もちろんディヴィッド青年は、そんな出来事は露ほどもしらないのだ。

 

やがて目を覚ましたディヴィッド青年は、何事もなかったのように乗合馬車を捕まえ、かれの寝ている間にいろいろなことが起こった泉の沸く楓の木陰を、何事もなかったのように後にする。

 

冒頭の一節がすべてを物語っている。

我々は、我々の人生の道筋に現実に影響を與え、我々の終局の運命にも及ぶような出来事についてすら、ほんの一部分しか知ることは出来ないのである。

 

 この短編小説は人生のうちのあり得る教訓という点で、ほんとうに面白く読めた。

眠っているたった数時間にも、身の回りには沢山の事が起こっているし、自分はそれを知らないままでいる。

物語として読んでも大変面白く読める。