読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

読書していると脳内がテレビ代わりになるので、テレビは要らないと思う持論

 本格的に本を読むようになってからというもの、自分からテレビを点ける事がほとんど無くなったように思える。
点けても本や作家に関する番組ばかりのような気もして、それもほとんど機会が無い。

 強いていえば、YouTubeで特定の文学作品についての四方山話チャンネルや好きなアーティストの動画を時々観ているぐらい。

 一つは最近観たい番組が、皆無に近い位無くなったということもあるが、やはり読書の影響が大きいように私は思う。

 本を読んでいると頭の中に映像をイメージする習慣がついてくるので、それで十分映像を観ている気になるし、却ってテレビの喧騒が疎ましく思えてくるのである。

また、難しい作品を読むと眠くなってくることが多々あるが、それは恐らく通常より脳内でイメージする力を使うからではないかと思う。

 それから、短編小説を以前よりたくさん読むようになった。

 できる限り多くの作家に触れたいため、一編ずつ間を空けながら色々な作家の作品を代わる代わる読むと、新鮮味も損なわない上、作品についての雑感、ひいては物事に対する自分の考えを短時間で引き出す訓練にも繋がる。
と、まあこのように考えている。

 勿論、どうしてもテレビから情報を得る必要も出てくるのであるが、それまではテレビは無くても却って落ち着く。

本を読むこと、本を眺めることは愉しい。