読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

「集金旅行」を通読すると近代日本文学のエンタメ帝王は、やはり井伏鱒二であると思う

 以前通読した「駅前旅館」から受けるユーモア溢れる文体と粋な遊び心、少しの哀切からずっと注目し続けているのが井伏鱒二先生。

その作風は決して荘厳ではなく、おおらかでテンポも小気味よい。
しかもちゃんと文学している。

 先日、久し振りに著者の作品を一つ通読した。
以前、100円代で新潮文庫の昭和版を購入したまま、棚入れしたままだった作品集「集金旅行」の表題作「集金旅行」である。

 亡くなったアパートのオーナーに代わり、男女二人が、方々に転居した過去の部屋代滞納者(踏み倒しの方が合っているかも)からの集金の旅に出るというものである。

 男はアパート代滞納者への集金、女は過去交際していた男性への所謂ゆすりといった、どんよりとした目的を持って、各地方を廻り寝食も共にする(あくまで健全に)。

 なんと言っても面白いのは、あくまで実直で誠実な主人公の男と、マイペースで明け透けない女それぞれの金の巻き上げ方の違いである。
一方は相手先へ出向く。一方は弱みに付け込んで、宿まで呼び出すといったアンサンブルなのである。

しかしその旅も半ば、女の方がタカリにかけた男と暫く暮らすと言い残したきり、居なくなるのである。
そのラストの主人公の、そりゃないよ…といった態の台詞が如何にも悲哀に満ちながらも乙なのである。
作中そんな素振りも見せなかったが、女(コマツさん)に少し惚れていたということにも思える。

一行で魅せる粋と哀愁。
あくまで主観であるが、そんな表現は井伏鱒二の右に出る者はいないと思う。