読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

法と不実の犠牲者ヨーゼフ・Kに哀悼の意を・カフカの「審判」まとめ

 この小説とも作者の悲痛な訴えともとれる大作「審判」

全編を通して感じるのは、結局のところ権力には抗えないということであり、その前ではいくら目で見える色が白でも黒になり得るのだ。

これが法と秩序を司る裁判所の実態であるというのが、作者カフカが作品に込めた憤りであるのかもしれない。

 

 それではこの物語の最初から、不憫な犠牲者主人公ヨーゼフ・Kの足跡を辿って行きたいと思う。

 

 まず第一章、銀行主任のKは或る日の起き抜けに、隣人女性ビュルストナアの部屋にて、突然の逮捕を申し渡される。

勿論Kには身に覚えがなく甚だ不当な申し渡しであるが、当の申告者自身はただ命令通り動いているだけだと云うだけで一向取り合わない。

逮捕されたものの捕縛までに至ってないKは、ビュルストナアの留守中に起きた椿事を本人に詫びに訪れるも、彼女の魅力に寄せられ思いもよらぬ行動をとってしまう。

これはこれから起きる事のほんの前触れにしか過ぎない。

 

 続く第二章で審理に召喚されたKであるが、審理の場は既にごった返しており、目的も何もあったものではない状態の中、最初の審理が始まる。

この際の予審判事の”あなたは画家だったね?”との極めてかかった質問から、Kの不当な逮捕に関わる事実の誤認が始まっており、Kはこの場で必死で抗弁するも予審判事が予め仕組んだ舞台に体よく握り潰される。

 所謂はじめから仕組まれた虚構の法廷に対し、ありったけの皮肉を込めて異を唱えたKに対し、予審判事は被告が受けるべき利益を放棄したと訴えるものの、余りにも腐敗した裁判機能に憤りを覚えたKは引導を渡しつつ法廷を後にする。

この時点でKは、不正事実の出来レースという汚い罠に嵌まったことが窺える。

虚偽で歪められた明らかに不利な状況対し、独りで闘わないといけない不条理極まる現実と読み手を事実から遠ざける技法。

このあたりの表現はカフカにしか醸し出せない独特のものがある。

 

 第三章で再度出廷のため予審判事のもとを訪れるKであったが、生憎その日は休廷で予審判事は別に出廷中であることを彼の妻から告げられる。

その際、予審判事の尻の軽い妻に誘惑され、その不貞の相手の学生ともひと悶着起こしかかったKはほとほと神経をすり減らす。

つまりここで計画的か成り行きかは分からないが、色仕掛けで事実をうやむやにしてしまおうとする汚い企みが見え隠れしていると思える。

このような際に備え、妻が平然と不貞を働くように仕込んだ予審判事の黒い画策が、読後ありありと思い浮かんできた。

 

 第四章では隣人女性ビュルストナアが同居人を立て、Kを明らかに拒絶し始めている。彼女からしてみれば、第一章で思いもよらぬただの隣人のKから不当な接近を強いられたのであり、Kが不当な裁判に抗うのと同じで、彼女もまたKに対し無言の抵抗を試みている事が窺える。

 

 第五章では、第一章のKの逮捕時に見張り役に付いていた男たちが、Kの職場の倉庫にて、下着および朝食を奪った罪で鞭打たれる光景が見られる。

二度目にこの光景を見た際Kは呆れたのか、何事もなかったように倉庫のドアをピシャリと閉めてしまう。

つまり、裁判のあり方にすっかり不信を抱いているKに対し、法廷側からあくまで事実を公平に裁いている事を見張り人への刑をもってプロモーションしたのではと窺える。

 

 第六章ではKの叔父が登場し、ある弁護士への接見を取り計らう様子が描かれているが、ここでも事実を遠ざける要因として登場しているのが弁護士の助手レェニである。またしてもKは女性に誘惑され、叔父の努力空しく本題に辿り着かない。

 

 第七章では前章の弁護士から、裁判所と繋がりを持つある画家を紹介されたKは、自称顧問という画家から無罪主張についての方法を幾つか説かれる。

それは裁判官を抱き込めば如何様にもなると言ったような、明らかな不正を露呈したようなものでKを納得させようとしたが、ここも腐敗した状況に感づいたKは肉薄してしまう。

つまり法と秩序を尊ぶ機構が、上から下までズブズブに腐っていることが窺える。

また第八章では第六章の弁護士が、弁護依頼を掛け持ちしていた商人を圧力により制する場面がある。もうどこまでも腐っている。

 

 第九章で接待客に伽藍見学をすっぽかされたKはその寺院の僧侶から「掟の門」について説かれ議論を交わす場面がある。

僧侶はつまり、上級裁判は常に公平に門戸を開けていることを述べたかったのだと解釈するところであり、また不正と腐敗をぼやかすようなはたらきかけをしているように窺える。

 

 そして第十章、真実が何も見えないまま、憐れなKは処刑される。

 

 ありもしない不条理に負わされた罪と、予め仕組まれた不正に踊らされ、抗い続けたKであるが、たとえ間違っていても結局権力には適わないのだ。

 

また、本編では常に苛立っていたKであるが、断章された部分にはその姿は殆どなく、本来のKの姿が映し出されているような気がした。

カフカ作品の不可解で殺伐とした雰囲気を醸し出そうと、敢えて断章したのかもしれない。

 

この偉大な作品におけるKは作者カフカ自身の分身であり、その犠牲を払った訴えに哀切の意を唱えないではいられない。