読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

読書ノオト・カフカの「審判」第九章

 物語も大詰めを迎えるかと思いきや、一向に見えてこないKの罪業。
この章の前半は久しぶりに物語ぽくなっており、読むのに退屈しない。

第九章 伽藍
Kはこのところ銀行仕事において、接待ばかり任されるようになり、足許が覚束ない調子である。
今回も支店長からあるイタリー人の接待を任されることとなり、その顧客との面会の際、非常に多忙な顧客はせめて寺院だけでも見学を願いたいと、Kと午前10時の現地待ち合わせを約束する。
しかしながら、時間を過ぎても一向に現れないイタリー人顧客に痺れを切らしていたKは、薄暗い伽藍の中、寺男の誘導されるままに僧侶へ接近するも、伽藍を出ようとした矢先、僧侶へ呼び止められてしまう。
僧侶から、著者本人の短篇「掟の門」そのままの話を聞かされ、門番と門を通過しようとする男のどちらが掟に縛られていたかの論議を交わす。
Kはやがて僧侶から、自分は裁判所に属するものであるということを告げられ、先程の「掟の門」さながらの一言をかけられる。

“君から、何の要求をするものがあろう。来るものを拒まず、去るものを追わず。裁判所は、君から何物を求めない。”

 つまり、これまでの章で出てきた、裁判官より下級の者から聞かされた、裁判制度のあらゆる腐敗を覆すように、その上の階級の認識は裁判所は常に公平であると言うことが述べたかったのかと(上と下では随分思想が異なっている)、自分なり解釈する。