読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

悲哀漂うユーモア番頭物語「駅前旅館」井伏鱒二

 昨日までのお盆三連休、いつも以上の飲食に体重の跳ね返りを気にしつつも、最近誕生した新しい命の温もりを胸に抱き、我が子の時はどうだったかなと思い浮かべつつ、家族皆の笑顔を少しむこうから眺め、わたし自身もここに居る幸せを感じる。

 そんなささやかな幸せを感じながら思い出すのがこの作品。
昭和初期の日本から多くの作品を遺してきた文豪、井伏鱒二が描いたユーモア作品「駅前旅館」である。

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角川文庫S40.12.20 初版

 既に新潮文庫版でカバーに本作の舞台「柊元旅館」のイラストが描かれたものを持っていたが、読書会で課題図書に選書していただいたことから、折角なのでカバーから拘りをもたせてみようと探してみたところ、今まで目にかかったことない角川版のカバーが見つかったので出品者様と交渉の上入手したのがこちらの一冊である。
昭和初期の雰囲気を漂わせる味のあるカバー画である。

駅前旅館
 主人公「柊元旅館」番頭の生野次平がある日、遅い時間に温泉に浸かってウトウトしていると、昔馴染みの女❝菊❞が二の腕をつねって行ったことが引き金となり、❝菊❞を訪ねてを口実に、血気盛んな番頭仲間たちと碌でもない旅行を企て...

  私が個人的に本作によく合うと思う言葉は紛れもなく「」である。
次平さんの視点をとおして語られる言葉のひとつひとつ、碌でもない番頭仲間との下らない悪ふざけに、新聞広告で募った女性たちとの下らない旅行計画。修学旅行生とのゴタゴタ。番頭さんしか分からないおもしろい符丁(業界用語)の数々。
いつもの居酒屋(おみせ)にいつもの顔ぶれ。うら若き日の威勢のいい呼び込み合戦の想い出...。

 ちなみに男が集まって考えるのはどうしてこうも碌なことではないのかと思うのが、これを読まれた女性側の率直な意見であった。

 チャラチャラと自分たちの遊びを謳歌しながらも、時代に取り残されてしまった番頭さんたちの不器用な生き方に、どこかもの悲しさを感じる。

 時代の波に呑まれたであろう番頭さんたちがその後、時代に呑まれ変わらざるを得なくなったのか、それとも自分を貫きあくまで番頭稼業を続けたのか...底抜けに楽天的な男たちは、その後どのように生を全うしたかがわたしの気になる点である。

 今の時代に失いつつある旧きよき日本の元気と情緒を感じさせる本作品のプロットはとても素晴らしく、いつの時代にも読み継がれるものであってほしい。

駅前旅館 (新潮文庫)

駅前旅館 (新潮文庫)