読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

「トリフィド時代」ジョン・ウィンダム

文化が...
開発が...
生産が...
農耕が...
実生活を取巻くあらゆる環境が突如崩壊したら一体どうなるだろう。

 まず本作の主題になっている「トリフィド」との邂逅は、およそ30年前私がまだ小学生のときに好んで持っていた「怪獣もの知り大百科(ケイブンシャ)」がきっかけである。
当時何冊も持っていたケイブンシャの大百科シリーズの中で最も印象深いのがこの大百科で、メジャー・マイナーに関わらず様々な映像作品に登場するクリチャーがぎっしり収録されていた。
 有名なところで映画「エイリアン」のゼノモーフ、「遊星からの物体X」のクリチャーなどが生々しい御姿で収録されている中、「植物怪獣」のコーナーで一際異彩を放っていたのがこのトリフィドである。
映画版では邦題「人類SOS」という何とも真に迫ったタイトルである。

人類SOS!  トリフィドの日 完全版(日本語吹替収録版) [DVD]

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このパッケージを見るとトリフィドがえらく凶暴な奴に見える。
ちなみにこの植物のクリチャーが小説のタイトルの「トリフィド」である。
 後にこの映画の原作ジョン・ウィンダム著「トリフィド時代」とピエール・ブール著の「猿の惑星」の原作本を読んだことを機にオールドSF小説蒐集に一時ハマったと言っても過言ではない。

トリフィドの日
 まずこの小説は、人工歩行植物トリフィドが人間を次々襲い暴れまわる話ではない。
どちらかというと、視力と引き換えに文明を失った人類の行く末を描いた、何とも考えさせられる作品なのである。
 ある日地球を通過したあまりに美しい碧色を称える彗星を見た多くの人類は、次の日から突然視力が失われ盲目になってしまう。
農園で人口植物トリフィドの世話にあたっていた主人公は、トリフィドの触手を目に受け入院していた。
彼が周囲の異変に気付き自ら包帯を取って見たものは、亡者のように徘徊する盲目の人類だった...。
 やがて目の見える健常人が中心となった「コミュニティ」が形成され、主人公ビルは自身と思想が合うコミュニティを渡り歩きながら、人類文化の崩壊による絶望感を徐々に味わうのである。

本作から見えてくるもの
 ここで本作品の特筆すべき点は、文化の崩壊と消耗であるといえる。いくら技術や腕を持っていても、目が見えないとそれがたちまち無用の長物になってしまうのである。それが人類規模まで発展するとこれまで築き上げた文化の崩壊は免れ得ないものになる。一方残された健全な人類は残された時間に、今在るものを次々消費しながら、これまで自らが持ちえなかった生産や農耕など生きていくために必要な技術を一から身につけないとならない。技術の獲得と消耗はどちらが早いのかと考えるとゾッとするのは大げさではない。
 本作におけるトリフィドの立ち位置は、人間の消耗による疲弊を虎視眈々と集団力で待ち受ける脅威そのものである。よって目が見える場合のトリフィドはさして脅威ではなく、遠くから簡単に倒すことができるのである。一方で目が見えなくなった場合は別で、触手をもって毒牙を向ける非常に厄介な存在となる。そういった点でトリフィドはクリチャーというより”脅威”なのかもしれない。

本作は現在でも入手可能であるが、わたしは以前旧装幀版を古本屋で見かけ、どうするか呻吟している。(少し状態が悪かったので)
今持っているのがこちら。わたしの拘る文字サイズ・フォント種類・ページ当たりの行数が理想的なのと、訳者の井上勇氏の妙薬も相まって、割と長編にも関わらず数日でさらっと読み終えることが出来た。

著者のジョン・ウィンダムは他にも「呪われた村」という名作を遺しており、映画「光る眼」の原作にもなった作品である。未読蔵書で本棚に入っているのでいつか読んでみたいと思う。