「老人と海」ヘミングウェイ
先ほど読み終えたばかりのアーネスト・ヘミングウェイの名作のひとつである「老人と海」について綴りたいと思う。
今回どうせ読むのであればと、素人ながら本格志向になってしまいこちらの装幀で揃えた。
青い海と容赦なく照りつけ海面に反射する日光、握られた銛、網、タイトルのイエローと、海の青さを称えるブルーのアンサンブルが良い本作のすべてを表わしたような装幀に一目惚れし、どうしても欲しくなった。<タトル商會S28.3.15 初版>
裏表紙にはヘミングウェイの凛々しい姿が。
老人と海
余りにも有名なこの小説のストーリーを、初めてヘミングウェイを読んだわたしが知ったように書くのもおこがましく思う。
ヘミングウェイ本人のコメントには、本作を二百回以上も読み直しており、その都度違った何かを教えられ、自分が生涯をかけて目指してきたものがようやく手に入ったと綴られている。
それほど著者本人にとっても思い入れの強い作品であることが容易に想像がつく。
本作の内容はごく分かりやすい。不漁続きの老漁師が激闘の末捕えた大物のマーリン(カジキ)が、鮫にあっさり持っていかれてしまう話である。
本作を通して描かれるのは、何といっても獲得と喪失、果てしない孤独、雄大な自然(海)の情景である。
主人公のキューバの老漁師サンチャゴは八十四日も不漁が続き、かつて彼の元で働いていた少年マノーリンも、経済的な理由から親の方針により別の漁師の元で働いている。
更には妻にも先立たれ、一人ぼっちの侘しい暮らしの中での楽しみは、老人の元を離れても彼の元を訪ねてくる少年とのやり取りである。
老人を慕う少年マノーリンが、かつての老人の姿を取り戻すよう、老人の身の回りの世話を焼きながら献身的に振る舞い激励する様子がとても胸を熱くする。
ここは少年の老人の”果てしない喪失と孤独”の中に射した一条の”獲得”と言っても過言ではないだろう。
この老人と少年の何気ないやり取りの一つ一つに生気がみちみちており、感情が宿っている筆致は素晴らしいとしか表現できない。
老人は彼を本当に頼りにしており、一人で漁に出た際も「あの子がいてくれたら...」というフレーズが何度も出てくるほどである。
改めて大海へ漁に臨んだ老人の下に容赦なく照り付ける日光に大海原、トビウオを狙う鳥。
著者の描く海という大自然の鮮やかな情景は、その姿を容易に眼前に映し出す。
そしてとうとうマーリンを捕え手中に納めるまでの三日三晩の激闘の一部始終は見事であり、老人の息遣いと緊迫感のひとつひとつと"獲得"の喜びが、肌をとおして伝わってくるのである。
普段神とは縁のない老人が成功を目指して祈る姿、孤独の末大声で独り言を叫ぶ老人の姿、捕えたマーリンを兄弟と見立て屠る勇気を奮い起こす姿、どこにも文章に無駄がなく、武骨で男らしい筆致は恰も自分に起こっていることのように共感を覚える。
物語は捕えたマーリンを狙って虎視眈々と襲い掛かる鮫と老人の格闘に一気にヒートアップし、つかの間の"獲得"の喜びから"喪失"へ急転直下してゆく。
この頃には度重なる鮫との闘いに銛もナイフも失った老人が、獲物を諦め必死で帰還しようともがく姿がリアルに描かれている。
これだけの苦労をしても実績に形がないと、その生死を賭した苦労は誰にも見えないことがラストのテレイズ軒で会話する男女の光景を通して強く伝わってくる。この三日間の老人の死闘がすべて無意味だったのだということを。
本作の力強い筆致と躍動感を是非体感してほしい。
わたしのような駄文ではこの素晴らしい作品の真の意味を到底表すことができないが、「移動祝祭日」や「キリマンジャロの雪」など著者の名作を読んでみて、更に彼の世界観を味わいたく思った。
おまけ
ちなみにわたしは文庫版でこんなバージョンも蔵書している。
新潮文庫S43.5.30 十刷。あまり見かけないカバー画なのでタトル商會版の前に思わず購入した。
背表紙側には獲物を淡々と狙う鮫の姿が。
互いに訳者が同じなので翻訳がまったく同じかというとそうではないようだ。タトル版と新潮文庫版は冒頭の老人の肌の描写から随分異なっていた。
また、タトル版の文章は基本旧字遣いで、古き良き日本の文字表現を味わいながら物語を堪能することが出来る。
ちなみに下記のものは現在でも容易に入手できる。