読める日の停車駅

千を超える蔵書を少しづつ少しづつ読んでいます。読んではいるものの、元来読んだ内容を忘れやすいので、内容や雑感を記しています。誰かに見て頂いている態で書くのは大変おこがましいので、淡々と記録のような書き方をすることもあります。

読書観について真面目に思うこと

 随分ブログをほったらかしにしていた。
年単位で放置してしまっていた。

 その間も本への傾倒は続いており、趣向も緩やかに変化していった。
積む本も緩やかに増えていった。

 遅読傾向は相変わらずのところで、メルヴィルの「白鯨」読破に四苦八苦した挙げ句、上巻を読み終えるまでにおよそ2ヶ月も費やした過去もある。
これはまた機会があればお話しさせていただきたいと思う。

 このところ読書していると毎回に近いほど眠気に襲われる。実際そのまま眠ってしまうことも少なくない。
その理由を考えてみると、読むときの姿勢の問題やコンディションも大いにあるが、眼から拾った文章の情報を頭の中で咀嚼し、更に脳で映像化したものをいかにも瞳で観ているように投影する作業でよく起こっている気がする。
難しい作品ほどこの作業が頻繁であり、その分脳が疲れることから、結果眠気を招いているのだと考える。

 ここからは私的観点になるので、もし不適切な表現があればご了承いただきたいと思う。
ここ最近の小説には、文から「想像を膨らませる」部分が少くなっているのではないかと思う。
考え方を反すと咀嚼なく投影ができる。極端に表すと画を読んでいる、画が容易に見えるので、解りやすい反面、あっさり読めてしまうのでコクがないと感じてしまう。
しかしそれは、わたしが縁あって読んだほんの一部の作品ではあるのだが。

 だからこそわたしは古い本、古い文学を大切に読み、文学から受けた感銘を自分の「経験」のように普段の仕事や生活への在り方へ活かそうと思っている。
文学から得た知識は何物にも代え難い財産であり、読み方・感じ方次第で、考え方や行動を変える力があるものと思っている。また文学を読んで感じることは「感情教育」であるとも思う。
そして古くても素晴らしい文学は、何時までも途切れることなく読み継がれていって欲しいと思っている。